メイの料理にはピーナッツがたくさん登場します。
マッサマンカレー、ソムタム、激辛サクラ麺、パッタイ、ムーサテ…
お料理に添える彩りとしても使っています。
一回に4kg ほどの皮付きのピーナッツを中華鍋に入れて、およそ1時間近く炒ります。
その後、乾燥させて水分を飛ばすために、
晴れた日は外に出し天日干し、
曇りの日には室内で時間をかけて干します。
そして皮をむくのですが、このときに粒の小さいもの、
欠けているもの、そうでない丸々とした形良いものとを分ける事もしています。
最後に丸々とした見栄えの良い粒でないものを臼で叩き潰します。
最初の頃、ミキサーを使ったら早いのにと指摘したら、
ミキサーだと粒が揃ってしまい食感が悪いし香りが悪くなると怒られました。
このピーナッツの下ごしらえだけで3時間以上はかかっていると思います。
たかがと思っていたピーナッツはされどな食材でメイはとても手間暇をかけています。
このピーナッツ、タイにいつ頃から根付いたのか気になり調べてみました。
そもそもピーナッツはどこからやってきたものなのでしょうか?
漢字: 落花生、学名: Arachis hypogaea、英語: peanut または groundnut (Wikiより)
落花生の原産はもともと中南米が発祥のようです。
その起源は、英語の資料によると3〜5千年前くらいまで遡るようです。
有名なマヤ文明、インカやナスカなどがぱっと思い浮かびますね。
この地域を起源として、その後どのように展開するのでしょう。
日本のウィキペディアには要約するとこんな風に書かれています。(以下、茶色部分)
ラッカセイの原産地は南アメリカ大陸で、最も古い出土品は、紀元前2500年前のペルー。
その後、メキシコには紀元前6世紀までに伝わっていた。(北上したんですね)
16世紀のスペイン人修道士の記録ではアステカ族はラッカセイを食糧ではなく薬と考えていた。
カリブ海の島々でもピーナッツの栽培は行われており、そこでは重要な食糧とされていたという。
大航海時代の始まりで、ピーナッツはヨーロッパにも紹介された。
しかし、土の中で成長するピーナッツはそれまでのマメ類の常識とはかけ離れた、奇妙な存在と感じられた。気候もあまり適さないことから、ヨーロッパでの栽培はあまり行われなかった。
南アメリカ以外にピーナッツの栽培が広がったのは16世紀中ごろである。ポルトガルの船乗りたちが西アフリカ-ブラジル間の奴隷貿易を維持するためにアフリカに持ち込んだのが始まりで、そのまま西アフリカ、南アフリカ、ポルトガル領インドに栽培地が広がっていく。ほぼ同時期にスペインへ伝わったピーナッツは南ヨーロッパ、北アフリカへと渡っていく。さらにインドネシア、フィリピンへの持ち込みもほぼ同時期である。
Foods that Changed History によると、16世紀に入るとピーナッツはポルトガルからインドへ、さらにはペールからスペインに持ち込まれたものがマレーシアに伝わった後に、17世紀頃、スペインからフィリピン、インドネシア、中国、日本という形で伝わったとあります。当時の東南アジアの人々はピーナッツを轢いたものをご飯やお肉やお野菜のソースにしていたようです。他にもピーナッツは、唐辛子やココナッツミルクやライムやお野菜などと合わせて食べられていたとあります。1690年にはオランダ人によりピーナッツがインドネシアに紹介されたとあります。この17世紀あたりにピーナッツは中華料理に取り込まれたようです。インドネシアやタイでは串に刺したお肉にピーナッツのソースがかけられたのもこの頃だったようです。
いわゆるコロンブス交換が起きたということですね。
16世紀半ばからピーナッツの利用はは一気に世界へと拡大したようです。
日本には東アジア経由で1706年にピーナッツが伝来し、「南京豆」と呼ばれた。ただし、現在の日本での栽培種はこの南京豆ではなく、明治維新以降に導入された品種である。
中南米発祥の古代まで遡る食材がタイにやってきた道のりをもう少し調べました。
カセサート大学の教授 Supachat Sukharomana先生とBencharat Dobkuntod先生が、ジョージア大学人類学部との協力を得てまとめた報告書「Peanut in the Thai Food System: A Macro Perspective」の中から幾つか興味深い点を引用したいと思います。
いつ頃からがタイの食体系においてピーナッツが欠かせないものとなったのかについては明確になっていないものの、およそ400年前に持ち込まれた事が最初なのではないかと考えられているようです。400年前というと、日本は江戸時代くらい、タイには山田長政が渡って少し経ったくらいでアユタヤ王朝の後期くらいでしょうか。
タイ料理で最も重要な辛味の元である唐辛子、
こちらも原産は中南米ですが、もう少し遡って大航海時代には
周辺諸国を経由してタイに伝わっているようです。
辛くないタイ料理と辛いタイ料理が誕生するのもこの頃ですね。
唐辛子については、また別の機会に何か書きたいと思います。
それからしばらく、1854年のフランス人宣教師の報告書にタイの東部に位置するチャンタブリー県でピーナッツが栽培されていた記録が見つかっています。この頃はラーマ1世による統治で、現在まで続くチャクリー王朝(ラッタナコーシン王朝)がはじまって間もないときです。
1929年には国内消費用にピーナッツを輸入したという記録が見つかります、さらには1932年に商務省からインドでのデータを元にしたピーナッツの栽培方法を記した印刷物が刊行されています。1947年には、バンコクの近くにある、チャチューンサオとプラーチーンブリー(メイの実家はお隣の(左)ナコーンナーヨック県)の両県にて商業的なピーナッツの栽培が始まります。栽培地はその後東北が主要な栽培地として拡大していきます。
こうして歴史を調べてみるとピーナッツ栽培そのものの歴史は150年くらいのようですね。
ピーナッツの消費は1986年がピークで現在はアフラトキシン汚染の問題により消費に減少が見られます。アフラトキシン汚染は、強い発癌性を持つカビ毒で、ピーナッツに限らず高温多湿なタイでは穀物に及ぼす影響は深刻ですが摂取量が少なければ問題はありません。
バーンメイのピーナッツは千葉県産の落花生を中心に使用しておりアフラトキシン汚染については心配ありませんのでご安心ください。
タイにおいても最近は例えば通気性乾燥床を持つビニールハウス乾燥装置などを導入したり、少しずつ防カビ対策が進んでいるようです。食の安全についてもだいぶ見直されてきています。
味だけではなく健康と食に対する安全を考えているかお店か否か、お店の姿勢を見ることが重要ですね。
話がそれてしまいましたが、こうして普段何気なく食べている食材の歴史を探ってみると色々なことが見えてきて面白いですね。大航海時代にコロンブス交換とこの辺りでアジアの食文化は大きく進化しはじめたのかも知れませんね。
また機会があったら他のタイの食材の歴史でも調べてみようと思います。
それでは今回はこれで失礼致します。